藍染手織りで量をつくる(池田絣工房)

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特徴

  • 得意なこと: 手織りのまま量産を実現する独自モデル
  • 得意なこと: 分業的な仕組みの継承と再構築
  • 得意なこと: 職人の多様な働き方を支える生産体制
  • 課題: バランス維持の難しさ(量と質の両立)

技術の背景にあるわたしたちの取り組み

手織りの質を保ったままの量産
機械化せず、手織り特有の風合いや表情を維持しながら一定量を生産する取り組み。
分業による生産体制の構築
複数の織り手が工程を分担することで、手仕事でありながら量を確保する仕組み。
柔軟な働き方による担い手の確保
工房内外で多様な織り手が関わることで、人材の裾野を広げ、継続的な生産を可能にする。
均一すぎない「手仕事の揺らぎ」の活用
一点ごとの微細な違いを品質の一部として捉え、量産品にも個性を残す。
伝統と現代的生産のバランス
作家性に偏らず、また工業化にも寄らない中間的な生産モデルを確立。

解説

久留米絣はかつて、タデ藍の葉からつくる蒅(すくも)を建てて染める、天然の藍染が基本だった。しかし明治維新で海外からの輸入が開かれるようになると、ヨーロッパで発明された化学染料が久留米絣の産地にも入ってくるようになる。特に、1880年にドイツの科学者アドルフ・フォン・バイヤーによって発明された「インディゴ・ピュア」は、化学的に藍を抽出・合成したインディゴ染料で、1913年には天然藍にとってかわって世界中に急速に普及した。

そんな中、1919年創業の池田絣工房は、5代にわたってタデ藍の蒅(すくも)を使った藍染の久留米絣にこだわって製造を続けてきた織元だ。そう聞くと、伝統を守るために頑なに昔ながらのやり方を守ってきたと想像するかもしれない。しかし、池田絣工房の姿勢は意外なほどに柔軟だ。むしろ、しなやかでなければ、時代の荒波のなか藍染にこだわったまま生き残ってはこられなかった。

藍といっても、実は品種は世界中でさまざまで、インド藍として知られるのはマメ科コマツナギ属、沖縄の琉球藍として知られるのがキツネノマゴ科イセハナビ属。この2種類は泥藍と呼ばれる状態で保存されるが、日本で一般的に使われたきたタデ藍は、乾燥・発酵された蒅(すくも)状態から、アルカリ溶液で還元して、水溶性の染料として戻す「藍建て」作業が必要になる。さらに藍のバクテリアの栄養として糖分を適宜加えながら、温度管理を徹底し、藍の状態を見ながら攪拌したり休ませたりしなければならない。とても手がかかる生き物なのだ。

池田絣工房では、久留米絣産地では最大規模の20もの藍甕を有し、それぞれの状態をみながら、順番に藍染めをしていく。藍は酸素に触れなければ発色しない染料だ。久留米絣産地では糸を染料につけるだけではなく、床の窪みに叩きつけて括り糸を膨らませることで括りのキワまで酸素に触れさせる。この重労働でもある工程を何十回も繰り返さなければ、濃い藍色は生まれないのだ。池田絣工房ではクオリティを保ちながら量をこなしていくためにも、藍建てのアルカリ水溶液として苛性ソーダを利用しながら、自分のところの久留米絣の糸だけではなく、産地の他の織元の糸染めを手がけたり、洋服や小物などの藍染なども行っている。

池田絣工房のもう一つの大きな特徴が、これまた産地最大規模の手織りシステムだ。かつて久留米絣産地では、内職の織り手が自宅に手織り織機を置いて織りを担う「出し機」という仕組みが一般的だった。しかし織り手の高齢化やライフスタイルの変化によって、年々担い手が現象していく中、池田絣工房では自社工房内に作業場をおき、織り手が自由な時間に出勤して好きなだけ絣を織り、出来高で買い取る仕組みを構築した。

手織りに使われる織機は、シャトルの行き来を足踏みで行う足踏み手機と、すべてを手作業で行う投げ杼手機の2種類があり、池田絣工房では柄や織り手にあわせて使い分けながら、主としては生産効率の良い足踏み手機を使って生地を織っている。長い家業の歴史の中、一度は動力織機への移行をした時期もあったというが、約50年ほど前に手織り中心の生産へと戻った。

そこには「藍染手織りで量をしっかり作り続けたい」という、池田絣工房の一貫した思いがある。年々手織りの織元が減っていく中、久留米絣の原点である「藍染手織りの生地」を過去の産物にしないために、伝統に縛られすぎず今の時代においての最適解のあり方を模索しながら、前に進み続けているのだ。

手織りの価値を、社会にひらく

私たちは、藍染と手織りという伝統的な技術を守りながら、それを限られた一点ものとして閉じるのではなく、社会の中で循環するものとして届けていくことを大切にしています。分業や仕組みづくりを通じて、手仕事の質を保ちながら量を生み出すことで、より多くの人に手織りの魅力を届けたいと考えています。伝統を未来へつなぐために、手仕事と現代の生産のあり方を行き来しながら、新しい可能性を模索し続けています。