藍染機械織(山村かすり工房)

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  • 藍染した糸を機械で織る。伝統と量産の両立を目指した試み。

特徴

  • 得意なこと: 機械織りによる安定した品質と量産性
  • 得意なこと: 手織りに近い風合いの再現
  • 得意なこと: 藍染と多様な染料の使い分け
  • 得意なこと: 幅広い用途への対応力

技術の背景にあるわたしたちの取り組み

安定した品質と量産性
機械織りによって均一な品質を保ちながら、継続的に一定量の生地を生産できる。
手織りに近い風合いの再現
織機の調整や糸の扱いにより、機械でありながら柔らかさや自然な表情を持つ生地を実現。
藍染による深みのある色表現
天然藍や染料の使い分けによって、奥行きのある多様な色合いを生み出す。
現代用途への適応力
安定供給が可能なため、アパレルや日用品など幅広い製品展開に対応できる。
効率と表現のバランス
工業的な生産性を確保しつつ、伝統的な絣の魅力も残す中間的なものづくり。

解説

久留米絣には「手織り」と「機械織り」の2種類がある。こう聞くと、一つは手仕事で一つは無機質で工業的なものをイメージされることが多い。しかし、久留米絣を織っている「機械」は、不思議と生き物のような温度を感じる、愛すべき織機なのだ。

その多くは100年近く前に作られたシャトル式の小幅動力織機で、正式名称は「豊田式鉄製小幅動力織機(通称:Y式織機)」。これは、1915年にトヨタ自動車の創業者である豊田佐吉によって開発されたモデルで、その後東海地方を中心に日本全国で生産されるようになった。久留米絣の産地には1930年代から導入されるようになり、生産効率が20倍も上がったため、一気に広がった。

久留米絣の産地ではいまでもこの織機が使われ続けているが、肝心のトヨタはもう織機の修理・メンテナンスはしてくれない。織元たちは、毎日1台1台の織機の状態を確かめながら油を差し、時には廃業した織元の機械から部品を調達しながら、大切に管理している。

1895年創業の山村かすり織物は、久留米絣と日本の繊維産業の激動の中をくぐり抜けてきた。藍甕32本をも有する一大織元だったが、戦後に着物の需要が激減していく中、1968年に藍甕をすべてたたんで、廃業した近くの織元から動力織機を譲り受けて、手織りから機械織へと大きく方向転換をした。ちょうど「ナフトール染料」という新しい化学染料が普及し始めた時代だったことも、この決断を後押しする背景にあったという。

婿養子として4代目を継いだ山村善昭さんも、伝統に甘んじず常に最先端の技術を取り入れる山村かすり織物のチャレンジスピリットを受け継いだ。業界の中でもいち早くナフトール染料を取り入れて、カラフルでポップな色の久留米絣をデザインしたり、洋服や小物などの商品開発にも積極的に取り組んできた。

そして2000年代には、時代の流れを汲みながら、逆に藍染めへの回帰へと進んでいく。他の藍染手織りの織元に弟子入りしていた野瀬さんに声をかけ、ともに藍甕8本の復活に取り組んだのだ。そこで生まれたのが、藍染の糸を前述の動力織機で織った、藍染機械織りの生地だ。

藍染めの久留米絣はどうしても時間もコストもかかってしまい、現代では高級品だ。それでも久留米絣のアイデンティティでもある藍は、近年の天然染料の価値の見直しの動きも相まって、人気が高い。織りの部分だけ動力を使うことで、手の届かなかった藍染の絣が普段使いの生地としても使えるようになった。

近年では、色を染め重ねていくことで何色ものパターンが出せる藍染めの特徴を取り入れたグラデーション染めの糸を使って織った生地にも力を入れる。また、経糸もしくは緯糸だけ藍染の糸を使い、化学染料で染めた糸とも組み合わせるなど、市場が求めるものにあわせて柔軟にハイブリッドを行いながら、生地開発に取り組んでいる。

久留米絣の織元はどこもファミリービジネスだ。しかし城島瓦というまったく久留米絣とは関係ない家業の中で育って婿入りした4代目の善昭さんや、藍という素材に惹かれて他所からやってきた工場長の野瀬さんなど、意外にも外からやってきた人たちが支えているところも多い。次なる時代を読み、新陳代謝を繰り返しながら、柔軟に織り繋いできたからこその今、なのだ。

機械織りでひらく、絣の新しい日常

私たちは、藍染と絣という伝統的な技術を大切にしながら、それを現代の暮らしの中で使われ続けるものとして届けていきたいと考えています。機械織りによって安定した品質と生産量を確保しつつ、手織りに近い風合いや表情を追求することで、日常に寄り添う布づくりを実現しています。伝統を守るだけでなく、時代に応じたかたちで広げていくことを通じて、久留米絣の魅力をより多くの人に届けていきます。